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老いた命は時々美味しそうに見えることがある。
例えば小麦粉が卵と水を引き受けゆっくりと時間をかけて自然発酵した、美味しそうなパンのようだと思う。人を美味しく発酵させているのは一体何か?
その命が生きるものとなった時引き受けた「身体」と「大きな感覚の塊」は、一対となってその時代という「物語」を経験する。その3つに加えられるのが「癖」だ。
老いた命は社会秩序に隠されてきた「癖」を強く発揮するようになる。これが独特の旨味となって、その個体が持つ常在菌に因って時間をかけて発酵され美味しくなるのかもしれない。
私の母は認知症を患っている。今、母が「癖」を最も強く発揮しているものといえば長年の習慣となっているラジオ体操だろう。6:30起床し行われるラジオ体操は、正しいとされる体の動きから大きくかけ離れ、母は癖を存分に発揮し、完全なオリジナルラジオ体操へと進化している。
母の命が引き受けた「身体」と「大きな感覚の塊」と戦後の時代を生きたという「物語」は、一対となって80年を過ごしてきた。それらが「癖」という旨味を味方につけて自由に踊り出しているようにも見えてくる。そしてこの可笑しな体操を見ている私は大抵の場合、ラジオ体操の音楽に合わせて一緒に踊る羽目になるのだ。
社会秩序はなぜ癖を隠すのか?その癖の幽閉は社会に何をもたらしているのだろう?癖の発揮に因って解決されているものがある。それはいったいナニモノなのか?母にとっての美味しい時間は、見守る者達にとってあるいは「介護」と呼ばれる時間なのかもしれない。